「そろそろ人工知能の真実を話そう」

~ジャン=ガブリエル ガナシア
伊藤 直子・小林 重裕訳 早川書房刊~

 
アメリカで発生した自動運転の自動車による死亡事故は大きな衝撃を持って伝えられたが果たしてそれほど驚くものであったのかどうか。
というのも「自動運転だから事故は起きない」という保証はどこにもなかったはずだ。
むしろ実証試験のテーマの中には事故が起こることも含まれていたに違いない。
事故が起こる可能性がゼロなんてことはあり得ないからだ。
自動運転技術はまだまだ発展途上である。
話題が先行しすぎて巷では「自動運転が世界を変える」と思い込んでいる人は少なくない。
 
一方、
 
「そんなものは永遠に実現するわけがない」
 
と思っている人も少なからず存在するはずだ。
でもそういう否定的な意見はどういうわけか伝えられることはほとんどない。
確実に事故を防止して死亡事故も重傷者を出す事故も生じさせないということは、とうてい無理な話かもしれない。
飛行機や鉄道といった自動運転が発達している分野においても確実などというものは存在しない。
まして一般道を走る自動車が人の力を全く借りずに完全な安全を達成するなんてのは、ありえないと思うほうが正常ではないだろうか。
自動車の運転はコンピュータに依存したほうが事故が起こらなくて安全だ、というのは人間の「期待」に過ぎない。
  
「これら20世紀末の状況で今では全く違うよ」
という意見の根拠になっているのが「人工知能」だ。
 
人工知能は人に代わって見て聴いて触って自身で考えて判断する。
どれが道路でどれが障害物なのか。
ルートは正しのか。
今、自分はどこに位置しているのか。
人工知能は数多くの事例を学習してこれら運転に必要な無数の知識を学ぶのだ。
判断するスピードは人間の数百倍から数千倍。
記憶力も抜群。
膨大な情報を処理して安全を確保。
だから事故は起きない、という理論がある。
 
私はそういう考えはテクノロジーへの過信としか思えない浅はかな印象しかないのだが、他の人はどうなのだろう。
 
「そろそろ人工知能の真実を話そう」はパリ大の哲学者であるPrf.ジャン・ガブリエル ガナシアが人工知能に対する世間で広がる大いなる信頼と予想に哲学的視点から疑義を投げかけている。
いま一般に広がっている「AIが世界を変える」という発想とは反対の考え方をこの本で主張しているのだ。
「シンギュラリティ」は「アルマゲドン」と一緒。
要は大手IT企業が稼ぐために真贋取り混ぜて騒ぎ立てているに過ぎない「キャンペーン」みたいなものだというのだ。
だから人工知能オールマイティなんてありえない。
商売と繋げるための「シンギュラリティ」過ぎないのだ、と。
 
1つの流行があらゆるものを肯定的に引っ張り始める。そういう流れをを冷めた目でみつめるユニークな一冊なのであった。