「ヨーロッパ人の見た幕末使節団」

~ギュンター。ツォーベル、鈴木健夫、ポール・スノードン著 講談社学術文庫~

 
自分の国ながら日本ほど近代世界史上において重要な役割を果たした国はないと思う。
 
15世紀頃にはじまる大航海時代以降、世界の歴史は一握りのヨーロッパの国々に委ねられていた。
スペイン、ポルトガルにはじまりフランス、イギリス、そしてアメリカと主役は常に交代していった。
商業、法的、社会的なルールや価値観は変わることなく常にヨーロッパの国々のそれが世界スタンダードであった。
そして今もそうあり続けている。
 
アジア・アフリカ諸国は彼らに統括されるところであり、とりわけアジアの溢れんばかりの富みや資源はヨーロッパ諸国に持ち去られていった。
南北アメリカの先住民文化はさらに残酷でヨーロッパによって完膚無きまでに滅ぼされてしまった。
 
19世紀の終盤になって忽然と世界史の表舞台に登場してヨーロッパ主体の流れを劇的に変えたのが日本人だった。
それもそう遠い昔の話ではない。
私たちの曽祖父母の世代にあたる人々が主人公だ。
2千年以上の歴史を持ちながら19世紀になるまで世界においては伝説の中でしか存在しなかった私たちの国、日本。
突然登場した未知の国は従来からの歴史の表舞台にいた人々の目にどう映ったのか。
 
講談社学術文庫「ヨーロッパから見た幕末遣欧使節団」ではイギリス、ドイツ、ロシアで発行されていた当時の新聞記事からの情報を中心に幕府から派遣された公式な使節団がどのような目で見られていたかを調査した「他人の目を気にする」日本人にとって面白い歴史論文だ。
 
「パンタロンのようなズボンを履き」
「髪を妙な形で結い上げ、前頭を剃り上げて」
「腰に長い刀を差している」
「背が低く女性のような」
 
などなど様々な「へんなやつら」としての印象が綴られている一方で、各国での共通の印象が、
 
「知的な好奇心に溢れ、威厳に満ちた」
 
というものであった。
使節団には福地桜痴や福沢諭吉など近代日本建設の主役を務めた人たちが含まれていた。
年齢層は20代、30代、40代。
最高齢は正使の竹内下野守の52歳。
若さと活力に溢れた当時の日本人の姿はやがて訪れるアジアの時代の幕開けを予感させるに十分だった。
そしてさらに驚くことは、幕末とはいえ江戸時代のサムライ達が現代の顔を持っていた。
いや現代人以上に機敏でその時代と世界情勢を冷静に鋭い目で見つめる能力を持っていたようだということだった。
 
今、私たちに必要なのはこの「へんなやつら」の堂々とした威厳に満ちた知的な精神に違いない。