「考古学と近鉄奈良線」

2017年1月作

近鉄電車で難波から奈良に向かうと奈良の一歩手前「西大寺」駅から「新大宮駅」まではなかなか素敵な風景が広がる。
見渡す限り障害物がほとんどない広い野原。
その野原の中を幅2メートルほどの道路が格子状に通ってそこを自転車がキラキラと陽光を反射させ走っている。
電車の線路はそのど真ん中を突っ切ってる。
車窓の左手には復元された大極殿が。
右手には朱雀門が望まれる。
そう。
ここは1200年前まで都だった場所。
平城宮跡。
 
この平城宮跡。
つい100年ほど前までは田んぼだったのだという。
誰もここが都の中心なんて思わなかったのかもわからない。
たとえ思っていたとしてもあまり深く考える必要もなかったのだろう。
そのためか。
反対運動も単純な苦情も生まれなかったのか、大阪電気軌道という会社が線路を敷設して奈良と大阪上本町を連結。
今の近鉄奈良線だ。
そして100年後の今。
世界遺産となった平城京の景観を良くするために地上を走る近鉄奈良線を地下に埋めようという計画が持ち上がっているという。
 
なんて、無謀な....。
その新聞記事を読んだ関西人の私は思わずそう呟いていた。
 
奈良でも京都でも、実は大阪でも同じなのだが、この地域を土木工事で地面を掘ったりなんかすると大変なことになることが少なくない。
まぜならどこを掘っても遺跡が出てくるからなのだ。
したがって当初見込みの工事費は大幅に上昇。
工事期間もズズズと長くなる。
 
この平城宮跡だった場所の端っこ。
国道24号線と大宮通りが交差する交差点の北東側にショッピングモールがある。
この場所は長屋王の邸宅のあった場所で30年ほど前に百貨店を作ろうと工事をしている時に多数の木簡が出土して世間を騒がせた。
ここで出てきた木簡などの資料はその後に京都国立博物館で展示された。
その内容を見てビックリ。
誰それさんの勤務評定や、どこそこの国の某さんの納税記録など。
実に生々しい。
その瞬間私の感覚は1000年以上の時空を一瞬にして飛び越えた。
なぜなら、それらの出土品は奈良時代が歴史の1コマではなく現代と同じリアルな世界であることを強く意識させたからであった。
 
近鉄奈良線の地下化はまさにその邸宅前を掘削する。
何が出てくるか。
私のような素人が楽しみなのだから、考古学をやっている人にとってはもっと楽しみなことなのかも知れない。
 
なお、この工事は始まったらいつ終わるかわからないスリルもある。